がんばれ宮崎JR
執筆者: staff
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先日、所用で福岡に行ってまいりました。 福岡は私の第二の故郷です。 私が大学に入学した時期は、第二次「日米安保改定」の時期で、東京では先のフランス革命で学生市民が『カルチェラタン』として集い大きな変革がなされたのを真似て、日本のカルチェラタンとして東京神田・お茶の水界隈に全学連が集うところに母校はありました。「ロックアウト」、今では考えられない学校封鎖です。二年まで授業はなく、学校から送られてくる資料を元に自宅学習とレポートを提出して進級するという異常な学生生活です。 戦後65年の忌まわしい事件が多発しました。日本航空『御巣鷹山墜落』心身症のパイロットによる羽田着陸時に『東京湾に墜落』連合赤軍の『よど号ハイジャック』『大菩薩峠での総轄(同志討ち殺人)』等々。 殊勝にもその大学での学習不足を福岡の大学でやり直すため、23歳から31歳まで足掛け10年福岡で勉学・・・・?(遊学かもと反省してますが) 当時から、クライアントの皆様には私どもを育てて頂きお世話になりました。 そうそう、在福中にはオイルショツクがありトイレットペーハーや洗剤がスーパーマーケットから突如として消える、買占めです。異常でしたね。 今福岡名物の『からしめんたい』『長浜とんこつラーメン』『焼き鳥』等々すべてB級グルメで学生には食生活では天国でしたね(笑)。当時天神の近くに福岡球場(舞鶴場)がありプロ野球ライオンズのホーム球場でしたが、7回になると無料で入場でき、天神中州で安酒で酩酊してよく観戦ではなく、夕涼みに行ったものです。(ホークスドームの前身です) その慣れた土地(福岡)で意外なものを見ました。写真のごとくJR九州の大分〜福岡の「ソニック」号の車体に、宮崎の口蹄疫事件からの復興のエールでした。ありがたいことです。 日本全国の方々から暖かい物心両面のご支援をいただき、それに真摯に応えるため、宮崎県市町村と企業・県民は必死の努力をしていかねばなりません。空白の三カ月を取り戻すにはどのようにすればよいのか、当事務所としても真剣に考えてまいります。 がんばりましょう。
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